福田衣里子さん「人生を返して」 薬害肝炎(産経新聞)
「私たちは福田康夫首相にすでにボールを投げている。今後も粘り強く政治決断を求めていく」。13日、東京都内で会見に臨んだ薬害肝炎九州訴訟の原告の1人、福田衣里子さん(27)。大阪高裁から提示された和解骨子案に失望し、責任範囲の線引きを高裁に求めた国の姿勢を強い口調で批判した。
昭和55年10月、長崎県内の病院で生まれた直後、止血のために血液製剤「クリスマシン」を投与され、平成13年の20歳の時に受けた検査で感染を知った。放置すると死に至ると知り、目の前が真っ暗になった。
高校時代は空手で段位を取り、大学では1年休学してヨーロッパを一人旅。好奇心と行動力に満ちあふれた人生は暗転した。22歳でインターフェロン治療を始め、注射のため週3回の通院と飲み薬の服用を半年間続けた。発熱や倦怠(けんたい)感、脱毛、そして猛烈なかゆみ…。激しい副作用に襲われては体中をひたすらかきむしり、血がふきだした。
治療の間を縫って出席した親友の結婚式。幸せそうな笑顔に接し、「自分は相手の親にも祝福されるような結婚はできるのだろうか。万が一、お産で母子感染すれば、自分と同じつらい思いを味わわせてしまうかも…」と思い悩んだ。結婚や出産をして幸せになっていく友人たちと、家で寝ているだけの自分。将来への不安と焦りが続いた。
平成16年に入り、C型肝炎の医療講演会に出席。そこで出会った弁護士らから訴訟の存在を知らされた。3月に福岡地裁に提訴。4月の意見陳述で実名公表に踏み切り、裁判長に訴えた。
「好奇心でいっぱいだった私の心を、私の前に広がっていたあの人生を返してください」
提訴以来、全国各地を飛び回り、講演会などで被害の深刻さを訴え続けてきた。目標はあくまでも未提訴者を含む被害者全員の一律救済だ。
「患者にはもう時間がない。1日も早い解決を求めて闘い、いつの日か『薬害』という言葉をこの世からなくしたい」
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