人間社会と「ゲーム」の類似に着目して、社会や経済における行動主体(プレイヤー)の相互に関係する意思決定や行動、さらに社会や経済の成り立ちを数理的に研究する学問のことです(参考:京都大学経済研究所の岡田章氏のpage:ゲーム理論とはどんな学問?)。ですから、「ゲーム理論」に登場する「ゲーム」という言葉と日常用語の「ゲーム」とでは、少々意味が異なります。前者は主に頭脳的な戦略のみに依存するゲームのみを扱い、肉体的なゲームや、麻雀などの運にも依存するゲームは扱わない、という印象があります(私の無知ゆえに誤解している可能性もあります)
ここで、前記事「ゲームの理論」の補足。思い出しました。竹中平蔵氏は郵政民営化を「敗者のないゲーム」と表現していたのでした。「敗者のないゲーム」など、そう滅多にあるとは思えないのですが……
ところで、本記事のメインテーマは郵政民営化などではありません。
先週の火曜日、仕事へ向かう電車の中で、女子高生のパンチラを見ました。私が座っていた座席の向かい側に一人の女子高生が座ろうとした瞬間、やや無造作な座り方だったせいか、ほんの0.2秒程度だけ白いパンツが見えてしまったのです。偶然見えただけです。決して手鏡で覗き込んだり、靴の中に小型のデジカメを忍ばせて靴に空けた小さな穴から動画モードで撮影したりはしていません。それから暫くの間、私は少しだけ幸せな気持ちになりました。たかが白い布が見えただけなのに、何となく得をした気分になったのです。私と同じ状況で同様の感想を持つ男性は少なくないはずです。
ここで、ふと次のようなことを思いつきました。
女子高生が瞬間的にパンツを見せる行為は「敗者のないゲーム」であるかも知れない。つまり、女子高生の瞬間的パンチラで損をしたり、不快に思う人は誰もいないのではないだろうか。
なぜかというと、瞬間のできごとなので故意に見せているとは思われず、人格を疑われることもないでしょうし、ひょっとしたら、パンチラから素敵な恋が芽生えるかも知れません(?)ただし、長時間見せてしまうのはマズイです。不愉快な気分になる人も居るでしょうし、痴漢等の性犯罪に遭う可能性も生じてきます。
そこで、短めのスカートの制服を着ている女子高生の皆さんに提案です。瞬間的にパンツを見せてしまった貴女に不快感を抱く人は多分居ません。それどころか、少しだけ幸せな気分になる人は確かに存在します。ですから、階段を上るときや、座席に座るときなどに、見えることを恐れてガードするのを止めてみてはいかがでしょうか。
【補足】
● 火曜日の出来事を日曜日に記事にせざるを得ないところに、私の時間的な余裕の無さが現れています。