これから、英語の5文型の質問に対し「5文型をこのサイトで認めていないから」という理由で注意したyuki.toの管理人さんの件について書きます。建前上の最終結論は「管理人さんは正しい」です。人によって意見が異なる教育論やマナー論をまじえず、淡々とルールのみに基づいて分析するのがマイブーム(死語)です。
サイト内の「掲示板の使い方」によると、5文型排除はあくまでも「管理人が用いる指針」に過ぎません。
管理人は、文法学者Quirkによる7文型を採用して解説します。
いわゆる受験英語(通例の5文型を用いる)である場合は、その旨書いてください。
これを普通に読む限り、5文型の質問をすること自体は制限されない、と判断できます。管理人さんは5文型を用いないが、他の回答者が5文型を用いて答えるのは構わない、と解釈するのが自然でしょう。5文型に関する質問であることは明白なので、「その旨書いてください」との制約もクリアされていると思われます。
ゆえに、今回の件では「管理人さんの注意はおかしい」と感じる人が多数派だろうと推測します。私自身、心情的にはそう思います。
しかし、一般に、ルールというものは人によって解釈が異なる場合があります。この場合、上の太字部分を「5文型の質問である場合は、『これから5文型の質問をします』などと事前に断ってください(さもないと注意しますよ)」と解釈すれば、管理人さんの注意の正当化(即ち質問者の投稿の非合法化)が可能です。恐らく、管理人さんはこのように解釈なさっているのでしょう(場当たり的なダブルスタンダードではない、と信じたいところです)。
ルールの主観的解釈によって違法か否かが変わることは、 一般社会でも時々あることです。 例えば日本国憲法第9条。現在の政府見解は「自衛隊自体は合憲であり自衛権も有するが、集団的自衛権(同盟国の軍が攻められた際に行使する自衛権)は違憲」というもの。しかし、最近、社民党は自衛隊の解釈を違憲に変更しました。逆に、本格的な憲法改正を待たずに集団的自衛権も行使できるように憲法解釈を変えるべきだ、と主張する人もいます。
解釈変更によってルールを変えることが望ましいかどうかは意見が分かれるところです。「ルールは誰が読んでも同様に解釈されるべきだ」と思う人は多いことでしょう。私自身、頻繁な解釈改憲は余り好きになれません。しかし、解釈にある程度自由度を持たせておく方が、想定外の事件に対応しやすいという面もあります。たとえば(解釈改憲とは少し違うかも知れませんが)次のサイトに書かれた事件における最高裁の思い切った憲法判断は、法の文面を杓子定規に適用するだけではあり得なかったことでしょう。
悲しい事件
以上、最近は社会派として政治系ブログ界にも少しは名が知られるようになったD Slenderが、仕事帰りの電車の中からお送りしました。
個人的には面白そうな人なので、リアルではお付き合いできるかもしれませんが、ネット上の掲示板のようなドライなお付き合いは、私には無理です。実際、現在は DS 数学 BBS の管理も忙しく、ほとんどあっちには行ってません。