2007年12月15日

福田衣里子

前エントリ同様、今回も時事ネタから。

福田衣里子さん「人生を返して」 薬害肝炎(産経新聞)
 「私たちは福田康夫首相にすでにボールを投げている。今後も粘り強く政治決断を求めていく」。13日、東京都内で会見に臨んだ薬害肝炎九州訴訟の原告の1人、福田衣里子さん(27)。大阪高裁から提示された和解骨子案に失望し、責任範囲の線引きを高裁に求めた国の姿勢を強い口調で批判した。

 昭和55年10月、長崎県内の病院で生まれた直後、止血のために血液製剤「クリスマシン」を投与され、平成13年の20歳の時に受けた検査で感染を知った。放置すると死に至ると知り、目の前が真っ暗になった。

 高校時代は空手で段位を取り、大学では1年休学してヨーロッパを一人旅。好奇心と行動力に満ちあふれた人生は暗転した。22歳でインターフェロン治療を始め、注射のため週3回の通院と飲み薬の服用を半年間続けた。発熱や倦怠(けんたい)感、脱毛、そして猛烈なかゆみ…。激しい副作用に襲われては体中をひたすらかきむしり、血がふきだした。

 治療の間を縫って出席した親友の結婚式。幸せそうな笑顔に接し、「自分は相手の親にも祝福されるような結婚はできるのだろうか。万が一、お産で母子感染すれば、自分と同じつらい思いを味わわせてしまうかも…」と思い悩んだ。結婚や出産をして幸せになっていく友人たちと、家で寝ているだけの自分。将来への不安と焦りが続いた。

 平成16年に入り、C型肝炎の医療講演会に出席。そこで出会った弁護士らから訴訟の存在を知らされた。3月に福岡地裁に提訴。4月の意見陳述で実名公表に踏み切り、裁判長に訴えた。

 「好奇心でいっぱいだった私の心を、私の前に広がっていたあの人生を返してください」

 提訴以来、全国各地を飛び回り、講演会などで被害の深刻さを訴え続けてきた。目標はあくまでも未提訴者を含む被害者全員の一律救済だ。

 「患者にはもう時間がない。1日も早い解決を求めて闘い、いつの日か『薬害』という言葉をこの世からなくしたい」

福田衣里子さん

私と同じ感想を持っている人は少なくないでしょうが、福田衣里子さんって薬害肝炎原告の方々の中でダントツに若くて可愛いと思います。

「好奇心でいっぱいだった私の心を、私の前に広がっていたあの人生を返してください」

ときましたか。うーむ、仮に私に20億円程度の個人資産があったら、半分くらい福田さんに分け与えて都内の超高級マンションにでも別宅を構えて何不自由ない生活をさせてあげても良いのですが…… 調べてみたところ、HCVが性交渉で感染する可能性はかなり低いようなので、その点では大丈夫なようです。

とは言え、「20億円程度の個人資産」という時点で実現不可能なので、私は福田さんを諦めることにします。公約にも掲げません。
posted by D Slender at 00:00 | 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース
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