§2 中期──レコード大賞の時代──
「十戒(1984)」から1988年の自殺未遂までの中森明菜を「中期明菜」と呼ぶことにします。
「十戒(1984)」が中森明菜の転換点だと主張する最大の根拠は、これ以降、曲中の最高音階が低くなっていることです。以下のリストは、中森明菜の主要シングル曲のメロディー中の最高音をまとめたものです。専ら私の音感による判断なので、間違いが含まれるかも知れませんがその場合はご容赦を。
スローモーション (17.4万枚 82.5.1) →B
少女A (39.6万枚 82.7.28) →B
セカンド・ラブ (76.6万枚 82.11.10) →B
1/2の神話 (57.3万枚 83.2.23) →B
トワイライト (43.0万枚 83.6.1) →B
禁区 (51.1万枚 83.9.7) →B
北ウイング (61.4万枚 84.1.1) →B
サザン・ウインド (54.4万枚 84.4.11) →B
─────(壁)─────
十戒(1984) (61.1万枚 84.7.25) →A
飾りじゃないのよ涙は (62.5万枚 84.11.14) →A
ミ・アモーレ (63.1万枚 85.3.8) →A
(中略。この間は全てA)
難破船(41.3万枚 87.9.30) →A
AL-MAUJ(29.7万枚 88.1.27) →G
これから分かる通り、デビュー曲から「サザン・ウィンド」までほぼ一貫して最高音はB(ロ)だったのが、「十戒(1984)」以降しばらくはA(イ)が最高音になります。つまり、音域が一ランク低音化したことになります。この変化こそが、後年の明菜低迷の根本原因ではないかと私は思っています。
もちろん、必ずしも音域が高ければ良い、広ければ良い、とは限りません。しかし、明菜の場合は低音化がマイナスに作用したと思われます。理由のひとつは、初期明菜に見られた曲ごとの多彩な歌唱表現(時には別な人が歌っているとさえ思えるほど)が失われ、山口百恵を彷彿とさせるような歌い方に固定されてしまいました。必然的に、その種の歌い方に合った歌のみがリリースされることになり、多くの大衆を惹きつける佳曲が生まれる確率が低まります。もうひとつの理由は、TV放送での低音部の歌詞が聴き取り難くなってしまったこと。個人的に、大衆歌謡の歌手にとってこれは大きなマイナスだと考えます。
中期明菜はレコード大賞を2回受賞するなど、表面的には人気絶頂でした。しかし、前段に述べたような理由から、「セカンド・ラブ」の頃のファンの中には、既に明菜から離れていた人も居るはず(私が該当します)。まだ二十歳前後でしたが、既にアイドル的な人気は下降気味ではなかったかと推測されます。この点についての詳しい分析は次回に行います
つづく